様々な出会い…
手を取り合って一歩ずつ…
News お知らせ
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2024.12.06
12月定例会について
2024年も残すところ僅かと なりましたが、更新がやや遅くなって 申し訳ございません。 更に11月の更新で今月のスケジュール公表が 掲載されてなくて、 その点もお詫び申し上げます。 さて、 今月は私が個人的に大変お世話になった 伯父についていくらか 綴ってみたいと思います。 私は20代後半に 母方の姉にあたる 京都は嵯峨嵐山にお家のある 高乗家に預けられました。 もともと私は両親と折り合いが悪く 実家暮らしはとても窮屈で 仏教の在家の信者を 自称していた伯父の家の 一部屋を間借りすることに なったのでした。 27歳だったと思います。 伯父は積極的に私に 話しかけてくれました。 のちに伯父の良く云う言葉で 当時に私を評して 『何を聞いてもあっちゃの方を 向いていた』と。 つまり”暖簾に腕押し”のごとく 無反応な私だったと思います。 結果的に私は京都で 翼を広げられ、青春を謳歌します。 未熟だった私を京都という街が 優しく包んでくれたような 感覚と時に厳しく叱ってもくれた 気もします。 さて本題は伯父なのですが 仏教の在家の信者ということですが 特に中村元という仏教学の世界的権威で インド哲学にも精通している研究者の 著書を乱読して来たということでした。 中村元氏の著書でもとりわけ難しいと言われる ような本を理解することに捉われず 無心になって読んできたと言うことには 伯父自身が何かにすがりたいと思う ことの表れだと推測できます。 戦中戦後の混乱の中で、 当時まだ珍しいタクシードライバーとして 家族を養い、そのさなかに強盗に刺され、 重傷を負いつつも懸命に努力し そのメンタル面を支えたのが ブッダ、釈尊(しゃくそん)の存在だったのでした。 中村元氏の小難しい本を通し ブッダの教えに支えられるという とても稀有な人生を乗り越えられたという 気概から?当時の私を自分の家に住まわせて 話し相手になって下さったのでした。 最初の頃は上の空な私ですが 徐々に英気を養いながら ゆっくりと始動して往きました。 近所の散歩からスタートし 叔母の通うスーパーでバイトをしたり ガソリンスタンドや川魚屋でのバイトに精を出し ついには金属メッキ工場に就職し、 アパートで一人暮らしも経験させてもらいました。 今でも甘酸っぱい思い出満載の 私の第二のふるさと、京都嵯峨嵐山での 大切な日々を過ごしました。 ややそれましたが 仏教に傾倒する伯父のお話しは 主にヒトの心模様や自然の真理について 展開してゆくのでした。 真理について自身でもわからないとしつつ 少しでもヒトのココロに肉薄すべく 想いを馳せることは 今日、今現在も続いていると 思います。 昨今の伯父は悟りの境地を くぐり抜けて認知機能をも失いつつ ただひとり、空想し続けるという、、、、 それもまた人生であると、云わんとも 自身でヒトの宿命みたいなものを 体現しておられるところも 伯父さんらしくて、 独居暮らしを心配する周囲をよそに 考えや生き方を譲らない伯父を 尊敬しているし、 好きなお酒を辞めさせようとする 力が働いている状況でも お酒をコントロールされてるので 好きなものをやめてほしいとも 思わない。 あるがままを受け入れること 伯父からはとても濃い時間を 共有してきたと想うし、 私が一番の理解者だったと 思いたいとも考えている。 12月21日(土)13じ~16時 やすらぎ会館201会議室 1月18日(土)13時~16時 やすらぎ会館201会議室 お話しは概念的な真理が テーマで私はずっと聞き役だったのですが 自然(じねん)について 深く推考すること それが在家の信者である 伯父そのものなのです。 -
2024.11.18
日本の精神医学に望むこと
令和6年11月19日 シンセサイズ中部 代表 井上雄裕 精神医学に望むこと 2011年より、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病に続き≪5大疾病≫に位置づけられた精神疾患について、 生涯において4人に1人が何らかのメンタル疾患にかかるとされる身近な病気であり 一旦罹患すると日常生活や社会性も失われかねず、自死にも至る場合も少なくない、 多くの患者が経済的困難に陥り、孤立し社会的弱者となってしまいます。 心の病とはつまり脳機能の不調であり、その理解が進んでいません。 誤解や偏見・差別が常態化しており 今現在、もっとも対応に迫られている最重要課題です。 私たちシンセサイズ中部は毎月の例会を通して、同じ精神疾患患者同志の 繋がりの中で一定の共通認識を持ちつつ、 日本の精神医学に足りていない部分をまとめてみたいと云うことで 提言させて頂きたいと思う次第です。 患者と医療を結ぶ連携機関の仕組み作り そもそも精神疾患の多くは思春期に好発しますが、学校教育には約40年のブランクを経て 令和4年度より高校の保健体育のカリキュラムに加えられました。 永らく学校教育では教えられてこなかったという悲劇があります。 残念ですが中学校の授業には全く出て来ません。 統合失調症の発症ピーク年齢は14歳というデータもありますし、 教育そのものが現実と合っておらず、患者さんは 知識の全くない状況でこの疾患に陥ります。 学校教育で教えられて来なかったことが直接的に偏見・差別には 結びつくとは言えませんが、日本人はメンタル疾患に関して 無知であるとも言えるでしょう。 そう考えると私たち日本人は深く、これらの疾患について 学び直す必要があるのではないでしょうか。 それゆえなのか、精神科への受診は一般的にハードルが高く 馴染みがたいものという状況です。 たとえ4人に1人が罹り得る脳の病気であっても。 誰しもが普通に罹る得る病気であるのであり 病気への理解・啓発が進むためにも、患者と医療を 繋ぐ仕組みや役割を担う担当部署に創設が急務と考えます。 2.精神科病棟入院患者と地域の福祉施設の連携機関の創設 WHO世界保健機構からの再三の勧告にも日本政府は応ずることもなく 日本の精神科入院患者数はダントツ一位の不名誉な記録を更新し続けております。 30万人とも言われる患者の多くは高齢化も相まって 病院で亡くなっています。 日本の多くの精神科単科病院は民間病院で 患者さんを多く長期に渡り入院させることによりその経営を支えながら また患者さんも病院での生活に順応というある種の家畜化とも言える 哀しい現状に陥っております。 精神保健福祉士という国家資格を持ったいわゆるケースワーカーという 職種の担当部署がありますが、ドクターをトップとする 病院のヒエラルキーの中で患者を地域に帰すべき本来の役割は 形骸化至っており、患者さんは”施設症”とまで呼ばれております。 他方、意識と志を持った地域の福祉施設勤務の精神保健福祉士も 居られますが、病院勤務のPSW(精神保健福祉士)よりも 収入面でやや少なかったりでとても悩ましいのが現実です。 私立の精神科病院と地域の福祉施設の隔たりはとても大きく 患者・利用者さんは同じでも管理されている生活に順応している 生活が長ければ長いほど、地域での生活は現実的にはほぼ無いです。 ヒトとして生まれても 精神科病院で亡くなるヒトがこの日本では 日常であって良いのでしょうか。 人権、幸福追求権って 全ての日本人に与えられている 権利だったはずなのに、、、 即刻の入院患者と地域福祉施設の連携機関創設を求めます。 -
2024.11.04
11月定例会について
11月だと言うのに 温かい日が続き、 秋を満喫できているこの頃に もう感謝以外のナニモノでもない。 本当にありがたいこの秋である。 メリハリ効いたこの日本の気候のおかげで 大自然の恵みや試練のために 鍛えられる私たちである。 今月は私の個人的な 体験記?みたいなものを 綴ってみたいと思います。 やや長文になるかもですが お付き合いくださると私は 嬉しいです。 私の父は某名古屋市立工業高校機械科の 教師で、母はその図書館に勤める司書でした。 本当に口の重い父がいかに母を口説いたのか? 何度か父に問うたものの、 昭和15年生まれの父がそのいきさつを 教えてくれるわけもなく 今も健在である父からそれを 聞くことは今後も無いと思われる。 母も然り。 秘密のベールは明かされないであろう。 ただ、父と母の間から私を筆頭に 3匹!も男子が生まれることとなり 特に初産である私の出産には 母も輸血を受けるほどのかなりの難産で 大変だったと聞かされている。 物心ついた時には 家族5人食卓を囲むものの しゃべっているのは母くらいで 男衆4名は黙々と飯を食らう状況だった という記憶が残っている。 瀬戸の中心部よりやや南に外れた 田んぼの多い田舎の原風景みたいな 土地に元気いっぱいな幼少期を過ごす。 裏山には野犬が多くいて 親からは山にはオオカミがいると 教えられていた。 オオカミが実は犬だったという事実を 知ったのはかなり後だった。 両親には本当に申し訳ないが 私自身が相当なコミュニケーション障害 (=コミュ障)であったことが 名古屋市内の高校に進学するにあたって とても大きな影を落とすことに繋がったと 私は考えている。 私の云うコミュ障とは 自身の意思をヒト様に伝えることが とても下手くそだったことだ。 高校生の私はとてもアンバランスな 不安定な精神状態に陥ることになる。 思春期のモヤモヤした精神状態の中で 孤独が輪をかけて、 当時精神分裂病という名前だった 精神疾患罹患者となったと 自己分析している。 今で言う統合失調症は 実にさまざまな症状の患者がいたりして それら患者の総称が トウシツと呼ばれるもので 知らない人への説明もままならないくらい 広義にも狭義にも使われるというか 患者の数ほど対応もさまざまになるし そもそも原因も明らかになっていなければ 主たる薬物療法も対処療法でしかない。 つまり、この病気は落ち着かせる(寛解)だけで 完治はなく、一生のお付き合いとされている。 医師の見立ても経験値での 判断に頼るところも多く 医師によって診断が変わってくる なーんていう事例もよくあることで 処方薬での対応が手探り状態で それも医師の経験値での 処方になる。 患者サイドも家族を含め 病気としての自覚(≒病識)が無かったり 認めたくない事情や そもそも存在すら知らないものを 受け入れられない場合など 服薬するスタンスさえも 持てていない患者少なくない現状もある。 他方、予後良好な患者も これまた割と多い気もする。 たまたま、私も後者に属すると 思っているが、その理由には ヒト、つまり他者がキーとなっている。 人は人の間で生きて人間なのであって 誰も一人だけで生きている訳ではない。 他者との関係性の中で 自分を発見し、 見出していくことで ヒトとして生きられていると思う。 (なんだかまとまりのない文章で どこに着地していいのか? 分からないままに 夜が更けているのだが、、、) ただ一つ 言えるのは 誰もが人生の中で どこかで罹るかもしれない ごくごく一般的な病気・疾患である。 良くないことに この疾患のイメージが とても悪いのか? 誰もが隠したり、なかったことに されたりして 邪魔者扱いされている風土みたいなものに 集約されるのではないだろうか。 カナシイ。 私は世間から蓋をされるべき 人間なのだろうか。 11月16日(土)13時~16時 やすらぎ会館201会議室 お陰様で 先月10月19日のシンセ会は 会場がいつもと違う場所にも かかわらず25名もの参加者様に 集って下さり、 主催者としてとても 誇らしく思っております。 集まって下さった皆さま、 感謝申し上げます。 PS 本当は大変お世話になった 京都在住の伯父さんのことを 綴ろうと思っていたことを 忘れてました。 来月、私の第2のふるさと、 嵯峨嵐山での青春時代の話題に (忘れなければ)触れてみたいと 思います。 おやすみなさい。 -
2024.10.02
10月定例会について
10月を迎えた。 長く暑かった夏のようやく 終わりがやってきた。 実に悦ばしい。 がしかし、夕暮れの早さには 郷愁というのだろうか? 淋しさも感じてしまうのは なんだろう。 つい先日、 正確には昨日、 私にとってとても重要な 東京地裁の判決が下った。 不当判決だった。 この前まで 朝ドラで≪虎に翼≫が放映されていたが 主人公演じる伊藤紗莉さん(猪爪寅子)が 日本初の女性弁護士三淵嘉子をモデルに オリジナルストーリーとして 日本の法曹界に躍り出るプロセスが 描かれていた。 ドラマ苦手な私井上は そうそうに途中断念となり 本当に≪さわり≫だけしか 観られていないのだが お茶の間に受け入れられてる状況は 感覚として感じられている。 この法曹界、 ≪正義は勝つ≫と信じたい私としては 昨日の東京地裁での 判決を仲間と共有するにつれ なぜ? はて?と 疑問符の付きまくりだ。 ≪正義は勝つ≫というと やや行き過ぎなのか? 少なくとも ≪正論はとおる≫ とも行かないものなのか、 今回の高木勝己裁判長は 人に寄り添うこと、 原告に寄り添うことを 全くしていない、 とも取れる内容かつ そもそも理解を深めるにつれ 判決理由に 矛盾が満載であることも 分かって来たという 実に意味不明な 東京地方裁判所の 判断に4年もの 年月を有するという、、、 (以下略) 裁判に興味のある方向け 幸いなのか? 救われるのは 原告サイドの 声明文が秀逸だったこと。 これを読むと おおよその概略が 分かるのではないだろうか。 お国を訴えるとは ナニゴトゾ、 と思われる方には 日本が精神科医療について 世界ワーストワンであること 虐(しいた)げられているヒトが 世界で最も多いと認識できていない 市井の方であろう、 日本に生まれたという事実を 不幸であると断言したのは 『日本の精神医学の父』とも 呼ばれる呉秀三その人だ。 これ以上、 これ以下でもない。 日本人に蓋をされてる 日本人がとても多いことが 現状として 事実であることは 頭の片隅においてほしいものだ。 大丈夫だろうか? なんて心配は これっぽっちも 無い。 ってわけでもないが こんな持論を 展開して ここまで読み進めてくれている 貴重かつ 稀有なあなたに 嘘は言いませんので! やや酔ってます、、、 10月19日(土)13~17時 道泉交流センター小会議室 11月16日(土)13~16時 やすらぎ会館201会議室 どうして 日本が不幸なのか? に関しては また次回に。 夜が深いです。 おやすみなさい。 -
2024.09.01
9月定例会について
9月である。 明日月曜日から 新学期を迎える 生徒・児童の皆さん 登校に気が重くは ないだろうか。 宿題を携えて登校できるかどうか ではなく、いろいろな 懸念や不安がよぎる登校は 悲しい。 世の中、お米が食べられない ご家庭がとても多いとのこと。 我が家はタイミングが良くて 新米の季節までしのげそうであるが、 原因は国の減反政策にあるとのこと。 本当に日本の政治には 落胆すること、しきりである。 台風10号(サンサン)は 蒲郡のとある家屋を一軒押しつぶし その家の人の命を奪った。 各地の河川も氾濫し 日本のどこにいても 絶対安心はできないという 本当に自然の猛威に ヒトは無力である。 話しは(ころころ)変わるが ウチは新聞を購読している。 全国紙なので、地域のニュースには やや疎いかもしれない。 ただ最近せっかく購読している 新聞に目が通せていない。 じっくり読むのでなくて パラパラとまさに≪見る≫感覚だが、 では私は新聞のどこを≪見て≫いるのだろう。 私たちは意識、無意識にかかわらず 生きている。 無意識に呼吸して、 当たり前のように食べて寝て、脱糞して 生きている。 新聞にはこの世の生きている ヒトの空気が閉じ込められていると 考えられないだろうか。 私たち人類は、 良くも悪くも、意識・無意識に問わず 影響を及ぼし合い、 今という時代を構成している。 新聞には既存のものより より新しいなにかが、 今までのものより視点の違う ものがセンテンスとして 掲載されていると思う。 私自身も新聞のここを楽しみにしてるとか 今週の人生相談はどうだとか 特段のこだわりがあっての 購読ではないのである。 毎日の何か、紙面には 発見がある。 それは日々生きていく中での 発見と言える。 私はそう、 毎日の中に 驚きをもって、何かを 発見しているのである。 こんな響き合う世の中なので せめて良い影響のある 発信をして行きたいものであるが 私とて所詮ヒトであって 神ではない。 せいぜいこの駄文をセコセコと したためるのが限界なのだが 我思う、 自分に正直でありたい。 今、できることの限界まで やり尽くしたい。 自分の想うことに まっすぐに対峙し 真っ直ぐに進む。 そんな9月1日の夜である。 9月21日(土)13~16時 やすらぎ会館201会議室 10月19日(土)13~17時 道泉交流センター小会議室 10月はいつもの会場が 大人の事情で使えません。 ぐるっぺ道泉という 昔で言う公民館の会議室で 定例会を行います。 お間違えの無きよう、 よろしくお願いいたします。 -
2024.07.30
8月定例会について
この夏は10年に一度の暑い夏だと言う。 実に暑い。気温が 30度で真夏日、 35度で猛暑日、 40度で酷暑日。 もうそろそろ45度の 名前も考えておくべきでは ないだろうか?! 冗談ではないが、 温暖化が進むこの地球で 夏は本当に危険な状態である。 私の職場は町工場で零細企業だ。 現場仕事で冷暖房は完備されていない。 夏は暑く、冬は寒い。 本当に健康的だ、 と、思うようにしている。 実際、そう思っている。 がしかし、このような酷暑が 2~3か月続くような気候に なるとなってくると 健康的とは言えなくなる、 という危惧がぬぐえない。 私の場合、 家の近所の零細企業で割と自由に 働かせて貰っているせいもあり、 職場の満足度は高い。 職場には一番に出勤して 何から何まで 人がやらない事まで 自分の想うように やらせてもらっている。 現場は居場所でもある。 零細企業ゆえに ウチもご多分に漏れず 高齢化が加速気味だ。 一般的には中年でも ウチの会社では若手だ。 私も働けるうちは ずっと働いていたいと 思っている。 直近の診察日に 主治医との診察で と言ってもドクターとは 20年来のまさしく≪戦友≫、 (少なくとも私はそう思っている) で、主治医の先輩?ドクターの話になった。 私の初診の大先生だ。 御年87歳。 まだ、診察をしているのかな? 調べてみると 何と!Wikipediaにもお名前が 出ているではないか。 しかもまだ診察を続けられている。 週に3日も。 これは会いに行かねば、と、 思い立ち診察を入れるべく クリニックにメールすると あっさり予約が取れた。 実際に会い(受診)に行くと まぁ、親戚のおじいさんに会ったかのごとく 笑顔で迎え入れてくれて 最初はよく覚えてなかった様子だったが デスクの反対側のPCには 先生の全カルテが入ってるとのことで 幸いにも私の名前がすぐに 出てきて、カルテはPCに記録されていた。 私が17歳の時のものだ。 先生の達筆な手書きのカルテをのぞき見した 当時の私は、すごい! 先生はドイツ語でカルテを書かれている! と、思わず声に出したが、 それはあまりの達筆に読めないだけだった。 近況などいろいろ話をさせて頂いたが 昨今の精神科医療のトピック等には やや疎く感じられた。 名古屋の街のど真ん中の 南向きの窓の外はとても眺めがよく 最高な眺望だった。 いろいろ話したのだが 先生の配慮で診察ではなく ≪面会≫扱いとなって 診察室を後にした。 診察室を出ると 次の患者のカルテが2通ほど 待ち受けていた。 なんて 全く関係のないセンテンスを つらつらと書いてしまいました。 お付き合い下さり ありがとうございます。 8月17日(土) 13~17時 やすらぎ会館 201会議室 9月21日(土) 13~16時 やすらぎ会館 201会議室 皆さんのご参加をお待ちしております。 なお、2次会もお時間の 許す方にはおススメです、 本編とはまた違った雰囲気で 楽しいですよ。