お知らせ

9月定例会について

9月である。

明日月曜日から

新学期を迎える

生徒・児童の皆さん

登校に気が重くは

ないだろうか。

宿題を携えて登校できるかどうか

ではなく、いろいろな

懸念や不安がよぎる登校は

悲しい。

 

世の中、お米が食べられない

ご家庭がとても多いとのこと。

我が家はタイミングが良くて

新米の季節までしのげそうであるが、

原因は国の減反政策にあるとのこと。

本当に日本の政治には

落胆すること、しきりである。

 

台風10号(サンサン)は

蒲郡のとある家屋を一軒押しつぶし

その家の人の命を奪った。

各地の河川も氾濫し

日本のどこにいても

絶対安心はできないという

本当に自然の猛威に

ヒトは無力である。

 

話しは(ころころ)変わるが

ウチは新聞を購読している。

全国紙なので、地域のニュースには

やや疎いかもしれない。

ただ最近せっかく購読している

新聞に目が通せていない。

じっくり読むのでなくて

パラパラとまさに≪見る≫感覚だが、

では私は新聞のどこを≪見て≫いるのだろう。

私たちは意識、無意識にかかわらず

生きている。

無意識に呼吸して、

当たり前のように食べて寝て、脱糞して

生きている。

新聞にはこの世の生きている

ヒトの空気が閉じ込められていると

考えられないだろうか。

私たち人類は、

良くも悪くも、意識・無意識に問わず

影響を及ぼし合い、

今という時代を構成している。

新聞には既存のものより

より新しいなにかが、

今までのものより視点の違う

ものがセンテンスとして

掲載されていると思う。

私自身も新聞のここを楽しみにしてるとか

今週の人生相談はどうだとか

特段のこだわりがあっての

購読ではないのである。

毎日の何か、紙面には

発見がある。

それは日々生きていく中での

発見と言える。

私はそう、

毎日の中に

驚きをもって、何かを

発見しているのである。

 

こんな響き合う世の中なので

せめて良い影響のある

発信をして行きたいものであるが

私とて所詮ヒトであって

神ではない。

せいぜいこの駄文をセコセコと

したためるのが限界なのだが

我思う、

自分に正直でありたい。

今、できることの限界まで

やり尽くしたい。

自分の想うことに

まっすぐに対峙し

真っ直ぐに進む。

そんな9月1日の夜である。

 

9月21日(土)13~16時 やすらぎ会館201会議室

10月19日(土)13~17時 道泉交流センター小会議室

 

10月はいつもの会場が

大人の事情で使えません。

ぐるっぺ道泉という

昔で言う公民館の会議室で

定例会を行います。

お間違えの無きよう、

よろしくお願いいたします。