お知らせ
11月定例会について
2024.11.04
11月だと言うのに
温かい日が続き、
秋を満喫できているこの頃に
もう感謝以外のナニモノでもない。
本当にありがたいこの秋である。
メリハリ効いたこの日本の気候のおかげで
大自然の恵みや試練のために
鍛えられる私たちである。
今月は私の個人的な
体験記?みたいなものを
綴ってみたいと思います。
やや長文になるかもですが
お付き合いくださると私は
嬉しいです。
私の父は某名古屋市立工業高校機械科の
教師で、母はその図書館に勤める司書でした。
本当に口の重い父がいかに母を口説いたのか?
何度か父に問うたものの、
昭和15年生まれの父がそのいきさつを
教えてくれるわけもなく
今も健在である父からそれを
聞くことは今後も無いと思われる。
母も然り。
秘密のベールは明かされないであろう。
ただ、父と母の間から私を筆頭に
3匹!も男子が生まれることとなり
特に初産である私の出産には
母も輸血を受けるほどのかなりの難産で
大変だったと聞かされている。
物心ついた時には
家族5人食卓を囲むものの
しゃべっているのは母くらいで
男衆4名は黙々と飯を食らう状況だった
という記憶が残っている。
瀬戸の中心部よりやや南に外れた
田んぼの多い田舎の原風景みたいな
土地に元気いっぱいな幼少期を過ごす。
裏山には野犬が多くいて
親からは山にはオオカミがいると
教えられていた。
オオカミが実は犬だったという事実を
知ったのはかなり後だった。
両親には本当に申し訳ないが
私自身が相当なコミュニケーション障害
(=コミュ障)であったことが
名古屋市内の高校に進学するにあたって
とても大きな影を落とすことに繋がったと
私は考えている。
私の云うコミュ障とは
自身の意思をヒト様に伝えることが
とても下手くそだったことだ。
高校生の私はとてもアンバランスな
不安定な精神状態に陥ることになる。
思春期のモヤモヤした精神状態の中で
孤独が輪をかけて、
当時精神分裂病という名前だった
精神疾患罹患者となったと
自己分析している。
今で言う統合失調症は
実にさまざまな症状の患者がいたりして
それら患者の総称が
トウシツと呼ばれるもので
知らない人への説明もままならないくらい
広義にも狭義にも使われるというか
患者の数ほど対応もさまざまになるし
そもそも原因も明らかになっていなければ
主たる薬物療法も対処療法でしかない。
つまり、この病気は落ち着かせる(寛解)だけで
完治はなく、一生のお付き合いとされている。
医師の見立ても経験値での
判断に頼るところも多く
医師によって診断が変わってくる
なーんていう事例もよくあることで
処方薬での対応が手探り状態で
それも医師の経験値での
処方になる。
患者サイドも家族を含め
病気としての自覚(≒病識)が無かったり
認めたくない事情や
そもそも存在すら知らないものを
受け入れられない場合など
服薬するスタンスさえも
持てていない患者少なくない現状もある。
他方、予後良好な患者も
これまた割と多い気もする。
たまたま、私も後者に属すると
思っているが、その理由には
ヒト、つまり他者がキーとなっている。
人は人の間で生きて人間なのであって
誰も一人だけで生きている訳ではない。
他者との関係性の中で
自分を発見し、
見出していくことで
ヒトとして生きられていると思う。
(なんだかまとまりのない文章で
どこに着地していいのか?
分からないままに
夜が更けているのだが、、、)
ただ一つ
言えるのは
誰もが人生の中で
どこかで罹るかもしれない
ごくごく一般的な病気・疾患である。
良くないことに
この疾患のイメージが
とても悪いのか?
誰もが隠したり、なかったことに
されたりして
邪魔者扱いされている風土みたいなものに
集約されるのではないだろうか。
カナシイ。
私は世間から蓋をされるべき
人間なのだろうか。
11月16日(土)13時~16時 やすらぎ会館201会議室
お陰様で
先月10月19日のシンセ会は
会場がいつもと違う場所にも
かかわらず25名もの参加者様に
集って下さり、
主催者としてとても
誇らしく思っております。
集まって下さった皆さま、
感謝申し上げます。
PS
本当は大変お世話になった
京都在住の伯父さんのことを
綴ろうと思っていたことを
忘れてました。
来月、私の第2のふるさと、
嵯峨嵐山での青春時代の話題に
(忘れなければ)触れてみたいと
思います。
おやすみなさい。