12月定例会について
2024年も残すところ僅かと
なりましたが、更新がやや遅くなって
申し訳ございません。
更に11月の更新で今月のスケジュール公表が
掲載されてなくて、
その点もお詫び申し上げます。
さて、
今月は私が個人的に大変お世話になった
伯父についていくらか
綴ってみたいと思います。
私は20代後半に
母方の姉にあたる
京都は嵯峨嵐山にお家のある
高乗家に預けられました。
もともと私は両親と折り合いが悪く
実家暮らしはとても窮屈で
仏教の在家の信者を
自称していた伯父の家の
一部屋を間借りすることに
なったのでした。
27歳だったと思います。
伯父は積極的に私に
話しかけてくれました。
のちに伯父の良く云う言葉で
当時に私を評して
『何を聞いてもあっちゃの方を
向いていた』と。
つまり”暖簾に腕押し”のごとく
無反応な私だったと思います。
結果的に私は京都で
翼を広げられ、青春を謳歌します。
未熟だった私を京都という街が
優しく包んでくれたような
感覚と時に厳しく叱ってもくれた
気もします。
さて本題は伯父なのですが
仏教の在家の信者ということですが
特に中村元という仏教学の世界的権威で
インド哲学にも精通している研究者の
著書を乱読して来たということでした。
中村元氏の著書でもとりわけ難しいと言われる
ような本を理解することに捉われず
無心になって読んできたと言うことには
伯父自身が何かにすがりたいと思う
ことの表れだと推測できます。
戦中戦後の混乱の中で、
当時まだ珍しいタクシードライバーとして
家族を養い、そのさなかに強盗に刺され、
重傷を負いつつも懸命に努力し
そのメンタル面を支えたのが
ブッダ、釈尊(しゃくそん)の存在だったのでした。
中村元氏の小難しい本を通し
ブッダの教えに支えられるという
とても稀有な人生を乗り越えられたという
気概から?当時の私を自分の家に住まわせて
話し相手になって下さったのでした。
最初の頃は上の空な私ですが
徐々に英気を養いながら
ゆっくりと始動して往きました。
近所の散歩からスタートし
叔母の通うスーパーでバイトをしたり
ガソリンスタンドや川魚屋でのバイトに精を出し
ついには金属メッキ工場に就職し、
アパートで一人暮らしも経験させてもらいました。
今でも甘酸っぱい思い出満載の
私の第二のふるさと、京都嵯峨嵐山での
大切な日々を過ごしました。
ややそれましたが
仏教に傾倒する伯父のお話しは
主にヒトの心模様や自然の真理について
展開してゆくのでした。
真理について自身でもわからないとしつつ
少しでもヒトのココロに肉薄すべく
想いを馳せることは
今日、今現在も続いていると
思います。
昨今の伯父は悟りの境地を
くぐり抜けて認知機能をも失いつつ
ただひとり、空想し続けるという、、、、
それもまた人生であると、云わんとも
自身でヒトの宿命みたいなものを
体現しておられるところも
伯父さんらしくて、
独居暮らしを心配する周囲をよそに
考えや生き方を譲らない伯父を
尊敬しているし、
好きなお酒を辞めさせようとする
力が働いている状況でも
お酒をコントロールされてるので
好きなものをやめてほしいとも
思わない。
あるがままを受け入れること
伯父からはとても濃い時間を
共有してきたと想うし、
私が一番の理解者だったと
思いたいとも考えている。
12月21日(土)13じ~16時 やすらぎ会館201会議室
1月18日(土)13時~16時 やすらぎ会館201会議室
お話しは概念的な真理が
テーマで私はずっと聞き役だったのですが
自然(じねん)について
深く推考すること
それが在家の信者である
伯父そのものなのです。